令和5年度 暁星国際中学校・高等学校 入学・入寮式では、
内部進学をした高校1年生の研究員が新入生代表としてヨハネ生が
ご挨拶をさせていただきました。入学式を彩る言葉の端々には、
ほろ苦くも瑞々しい「憧れ」の香りが会場を満たしました。
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強く、柔らかく、春の陽射しを感じる頃となりました。本日は、
私達新入生のために、このような素晴らしい式を執り行って
いただき誠にありがとうございます。
私の姉は1年前までヨハネ研究の森コースに在籍する「ヨハネ生」
でした。姉の寮生活の話を聞いたり、ヨハネ研究の森を訪れたり
するたび、私は先輩たちの中にあるヨハネ生としての、
えも言われぬ自信を感じていました。
ヨハネ生の生き様に憧れ、いざヨハネ研究の森の一員になると、
自律的な生活と学びに馴染めず、苦しいこともありました。
しかし、先生が私の目を見て「頑張ろう」と言ってくださった
ことで、自分が直面している状況は成長のための絶好の機会
なのだと感じ、力が湧きました。
またある時、ヨハネ生の先輩が私を見て、ヨハネ生になってから
どのようにご自分が変容したのかお話ししてくださり、自分も
先輩のように成長していく姿を思い描き、心が踊りました。
今日は、私たちが新たなステージに踏み出す一歩となります。
これから先、時には思い悩みながらも成長していく機会が
多く待ち受けているでしょうが、先生方、先輩方がくださった
憧れを胸に歩み続けます。
最後になりますが、校長先生をはじめとする先生方、先輩方、
並びに来賓の皆さま、そしていつも私たちを理解し支えて
くださる保護者の皆さまへの感謝の気持ちを忘れずに、日々
精進してまいります。
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中高一貫の学校生活の節目を迎え、より一層学びの探求を
楽しんでまいりましょう。
2023年04月20日2023年03月31日八剱八幡神社 奉納「謡仕舞」(4/4)今回は秀雲會の解説を取り仕切ってくれたヨハネOGの声の後半を
お届けします。 第一回 八劔八幡神社奉納 秀雲會 謡仕舞を終えて(後半) 「解説」とは、その名の示す通り、一番初めに登場して演目等の 解説を行うお役目である。それは本来、その性質からしてお能に 造詣が深い方が行うべきところと思うが、今回は僭越ながら 卒業生である素人の私が務めさせていただくことになった。 かつて習っていたバレエの発表会では必ず行われていた「ゲネプロ」 がないことに不安を覚えていたが、本番の前日、来場者の方に 合わせて急遽英仏の解説が加えられ、3人で行うことになったのは 大変心強いことだった。私は想像を膨らませながら、披露する 演目の世界に飛んだ。それらはどれも、私が愛する物語としての 歴史の中にあり、歴史という言葉のおかげで私はとても楽しんで、 お役目を果たすことができたのだった。 今回、コロナ禍の影響で着用する機会がなく、箪笥の肥やしと なっていたお着物をおろすことができたことも、私の喜びであった。 数年前、思い付きで着付けを習ったこともきっとこの日のため だったのだと思ったが、今回という機会自体、私たちの不完全さや 未熟さが目立つようでいて実は、あらゆることが緻密に 関係しあっており、全て巡り合わせであったような気がした。 解説を終えると、いよいよ奉納の謡仕舞である。一卒業生として、 妹や弟たちの逞しい姿に引き込まれながら、よくぞここまで 来たものだ、との感慨深い思いに駆られた。締めくくりの番外仕舞、 秀雲先生による「小鍛冶」は場の空気が一変し、役に憑依した 秀雲先生の迫力に圧倒されたが、その圧巻のお仕舞にお能への 興味はますます膨らんだ。 思い返すと、秀雲會の第一回目のお稽古が行われたのは、 結果として今回の機会から既に一年を切っていた2022年の 3月末日のことだった。その日は、春らしい陽気の気持ちの良い 木曜日だったが、その時お稽古場所になった地下のセッション ホールで「猩々」という演目のお仕舞を披露してくださった 秀雲先生の迫力と一つ一つの動きの美しさに、初めて間近で 本物を目にした私は「これがお能というものなのか」と、 衝撃を受けた思い出がある。 その頃、ちょうど大学を卒業して4月から大学院生となった私は、 ヨハネで重ねられているお稽古にはそれ以来参加することが できていないものの、伝え聞く様子からJohannaが 強いエネルギーを注いでお能に取り組んでいる様子を知っていた。 そして、そのエネルギーに圧倒されつつ、たどたどしくも 素人なりに、お能の勉強を始めたものだった。 Johanna有志から始まった會が短期間でJohanna全体、そして 男子の有志にまで広がりを見せたことは、650年もの間、 絶えず人々の心を惹きつけてきたお能と、優れた能楽師である 秀雲先生のなせる技であると思う。しかし、幅広いことに挑戦し、 足を踏み入れたからには何事にも真剣に取り組むという姿勢は、 横瀬先生という師を戴くヨハネ研究の森で培われてきた 伝統文化であるようにも感じている。ヨハネ研究の森は、 どんな挑戦もできる場所であり、それが守られている場である。 その意味で非常に自由な場所であり、その自由とは規律と 一体化した本物の自由であった。 私がヨハネ研究の森を卒業して、5年が経った。私はここに 3年と5ヶ月しか在学していないため、私が学生である期間は とっくに在学年数を超えてしまった。しかし、特にヨハネ 研究の森入学前の自分のことを思うと、ここで得た学びや 培われた姿勢は今も自分の中に息づいていることを感じており、 それは或いはヨハネ版の「甕と水」ともいえるようなもの なのではないかと思っている。横瀬先生の哲学を発端とする ヨハネ研究の森の伝統はきっと、潤沢な泉である。 今後も、幾度も甕を変えつつも連綿と受け継がれていくだろう。 そして、矢那の森を巣立った「甕」たちは、あらゆる場所で その中を満たす水に導かれつつ、邁進していくに違いない。 「第一回 八劔八幡神社奉納 秀雲會 謡仕舞」という 大きな挑戦を目撃・体験したことを経て、私はそう確信している。 ![]() posted by stjohns at 10:08
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